コロナな夏休み
ころなななつやすみ。
図らずも、「な」が3つも続いた。
何もしなかった。
毎年、この夏休みの時期は海外旅行にいっている。
基本的には安定のバリ島に一人でいくが、去年はミャンマーに友人5人といった。
「5人」て多いよ!
とか、思ったけど、おじさん旅行はとても楽しかった。何を話したかは何も覚えてないけど、楽しかったことだけ記憶に残ってる。また、いきたいな。
今年はコロナの再拡大もあり、悩んだだがずっと自粛することにした。
直前まで旅行は検討した。
離島に行きたかったが、病院がないようなところにいくのはやめよう、となり、伊豆あたりに行こうと計画した。しかし、それも急な感染者増大により中止とかじをきることになった。
そこで一人の先輩は
「いやー、でもみんな行ってるからいいんじゃん。俺のまわりけっこう行ってるよ。」
驚きをうけた。
比較的、僕は親と同居ということもあり真面目に自粛している。外食も控えている。
そんな僕にとって
「まわりの人けっこう行ってるよ。」
は、驚いた。もちろんTVでは旅行に行ってる人や、いろいろなところでレジャーを楽しく人々をみたりする。でも、それはどこか空想的な感じがしていた。
ふん、そんな何も考えす行動する人なんているのかね。
それが友人の友人とはいえ、身近にもいたのだ。
当然といえば当然か。
そして、みんな行ってるんだから「俺たちもいっていいじゃん」という理論。
これが世間一般の考えなのかもしれない。
僕はこの一週間、だいぶ自粛していた。
オープンカフェに2,3回と近くの海(海水浴場ではない)にチャリでいったくらい。
何もしなかった、何もできなかった。
だからかもしれない。
外で能天気に遊んでいる人を
「こいつら何も考えてねえな。」
と罵倒する反面、心のどこかでは羨ましいと思ってしまっているのだ。
いや、羨ましいという気持ちを隠すために、真面目に自粛してしまった自分を正当化するために、自粛しなかった人たちを攻撃してしまった。これでは、ネットで誹謗中傷している人たちと何もかわらない。
外で遊んでいる人たちのおかげで経済がなんとかギリギリでまわっている、という面もある。いいところを探そうよ。
何もせず、のんびり過ごせた夏休みも悪くなかったけど、少しもやもやっとした夏休みだった。
やっぱり人なんだな。
自粛生活とテレワークが始まり4か月。
こうして仕事があって給料をもらえているだけでありがたい。
仕事も、コミュケーション不足によるやりにくさは多少あるが、大きな問題ではない。
今後もしばらくはテレワークが続きそうだ。コロナが収まってもこのままでいいんじゃない、という声もある。
確かにその通りかもしれない。
満員電車のらなくていいし、無駄な人付き合いもないし。
世間一般もそんな感じだろう。
しかし、僕は何か物足りなさを感じてしまっている。
テレワークは仕事がはかどるが、それだけだ。
何も生まれない。
日々の無駄な会話や雑音の中にこそ、楽しさがあるのではないか。
そうなんだ。
僕は旧来型の人間なんだ。
会社の無駄な飲み会が好きなんだ。
帰りがけに思いつきで、飲みにいくのが好きなんだ。
仕事の合間の雑談が楽しいのだ。
人と面と向かって何かをするのが楽しいのだ。
これも、テレワークが嫌なのではなくただ自粛だから出かけられないからテレワークが向いてないと感じてしまっているだけかもしれないが。
そしてこの気持ちからそもそもこの仕事を楽しめているのだろうか、と考えてもしまった。嫌いじゃないと思っていた。むしろ、楽しくやっていた。
めんどくさい人間関係もお客さんに怒られて胃が痛くなるのも含めて。
しかし、テレワークがぼくを変えた。
この仕事が好きならそもそも、テレワークでも楽しいはずだ。仕事にのめりこめるはずだ。なのに、熱くなれない。悔しい。
これは僕の天職じゃないのかもしれない。
もっと人の生き方に関係できるような何かを。
aftetコロナ。
コロナで時代が変わるかもしれないし、変わろうとしている。
そして、僕もコロナとともに変わろうとしているのかもしれない。
できることから一歩づつ。